陰徳 あれ ば 陽 報 あり
(貧しい人に貸す人は、神からの利益を得る) He that sows good seed shall reap good corn. (良い種をまく者は、良い麦を収穫する) A good turn deserves another. (1つの良い行いをすれば、別の良いことが返ってくる) 「陰徳あれば陽報あり」のまとめ 以上、この記事では「陰徳あれば陽報あり」について解説しました。 読み方 陰徳(いんとく)あれば陽報(ようほう)あり 意味 ひそかに良い行いをすれば後で必ず報われるということ 由来 『淮南子(えなんじ)』の「人間訓(じんかんくん)」 類義語 陰徳は果報の来る門口 隠れたる信あらば顕れたる験 積善の家には必ず余慶あり など 対義語 悪因悪果 英語訳 He who lend to the poor, gets his interest from God. (1つの良い行いをすれば、別の良いことが返ってくる) 「陰徳あれば陽報あり」は、「誰からも感謝されなかったとしても、良い行いをすれば必ず報われる」という励ましになりますね。 日々の生活のなかで、このことわざを意識していきましょう。
陰徳あれば陽報あり 御書
【ことわざ】 陰徳あれば必ず陽報あり 【読み方】 いんとくあればかならずようほうあり 【意味】 人目につかなくても、ひっそりとよい行いをしていると、必ずいつかよい報いがあるというたとえ。 【語源・由来】 淮南子(えなんじ)人間訓(じんかんくん)より。 「夫(そ)れ陰徳有る者は、必ず陽報有り。陰行有る者は、必ず昭名有り」 とあるのに基づく。 陰徳(いんとく)とは、陰で行う徳行のこと。 陽報(ようほう)とは、はっきりとよく現れるよい報いのこと。 【類義語】 ・陰徳陽報(いんとくようほう) ・隠れての信は現れての徳(かくれてのしんはあらわれてのとく) ・積善の家には必ず余慶あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり) 【対義語】 ・悪因悪果(あくいんあっか) 【英語訳】 He who lendeth to the poor, gets his interest from God. He that sows good seed shall reap good corn. 隠れた善行もあれば、顕な善行もあるという意味で、 「陰徳あれば陽徳あり」というのは誤りなので注意が必要。 【スポンサーリンク】 「陰徳あれば必ず陽報あり」の使い方 ともこ 健太 「陰徳あれば必ず陽報あり」の例文 彼は黙ってチームのみんなのために尽くしてきたから、彼が困っていると助けようと思うのだろう。 陰徳あれば必ず陽報あり だ。 陰徳あれば必ず陽報あり というから、毎朝散歩をしながら公園のゴミ拾いをしている。 陰徳あれば必ず陽報あり というように、人に尽くしてきた彼は最期にたくさんの人に見送られた。 まとめ 人が見ていないからといって、悪いことをしてはいけませんね。 陰徳あれば必ず陽報ありというように、人に知られることはなくても、よい行いを積みたいものですね。 【2021年】おすすめ!ことわざ本 逆引き検索 合わせて読みたい記事
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陰徳あれば陽報あり 原文
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陰徳あれば陽報あり 意味
人に知られぬ善行を積んだ者には、かならず表に現れたよい報いが訪れることをいう。 〔類〕 陰徳は果報の来る門口/積善の家には必ず余慶あり 〔出〕 淮南子(えなんじ) 〔会〕 「20年間、ボランティアで駅のお掃除をしていた人が近く表彰されるんですって」「陰徳あれば陽報ありだな。いいことだよ」
それは、人に知られないように密かに善行を施す「陰徳善事(いんとくぜんじ)」が本当の教えだったのです。 神社やお寺に寄付をすれば名前が掲げられますし、福祉施設などに献金すればマスコミで公表されます。 このような行為は、人に見えるところで行われる行為で「陽徳」といいます。 一方、人に知られないように、人のためになる行為をすることが「陰徳」です。 たとえば、部活動をしている 人が誰もいない体育館に朝早く出て床掃除をして練習をする、名前を伏せて研究機関に寄付をする、といった 行為で、これを続けることを「陰徳を積む」といいます。 なるほど……。しかし、どうも納得がいきません。 「陰徳善事」は、優れた近江商人を育てるための教えであって、文化人を育てるためではありません。 だのに、いいことをして世間にPRすることを良しとしないのはなぜなのか?